現代遺伝学が行き詰まっているか、その答えは「然り」である
Is modern genetics a blind alley? Yes.
Le Fanu J.
Mawbey Brough Health Centre, London
BMJ. 2010 Mar 30;340:c1156. doi: 10.1136/bmj.c1156.
1970年代後半に、遺伝子の塩基配列決定法という革命的な手法が開発されて以来、現代遺伝学は神経科学とともに、生物医学研究分野に君臨している。研究費は倍増を続け、全世界をあわせて約1千億ドルに達している。莫大な情報量の生物学的データがたらされ、毎週原著論文や学術雑誌が津波のように押し寄せ、かつてないほどの勢いで図書館のスペースが年々占領されてきている。ヒトゲノムプロジェクトの1回目のドラフトシークエンスの解読が完了し1,000を超える単一遺伝子疾患の原因変異箇所が正確に特定できるようになって、すでに10年近くが経過している。しかし、遺伝学の成果として日常の臨床現場に反映できるものはほとんど認められない。出生前スクリーニングによる予防に見通しが立っているのは、サラセミアとテイ・サックス病だけである。ヒトインスリン、抗レトロウイルス薬、ハーセプチン、インフリキシマブなどといった有益な医薬品がもたらされているものの、それらは一握りの例外にすぎない。バイオ産業は「人類史上最も資金を浪費している産業」であると言われている。現代遺伝学があまりにも強力な方法論で知識を生み出し続けている反面、現実的な臨床研究に人々の関心(および資源)が払われなくなっている。現代遺伝学が行き詰まってきていることには、さらに2つの理由が存在している。ヒトの疾患において遺伝子は重要な要素でなくなっているということである。遺伝子疾患はそれほど患者が多いわけではないからである。さらに、患者の多い成人疾患の多くには複数の遺伝的な要素(その大部分は未知である)が絡み合っており、一つの遺伝的要素は一つの要素にすぎないことが明らかとなってきている。ゲノム構造が明らかになるにつれ、遺伝子の機能の最も初歩的な側面すら理解できていないことが明らかとなってきている。ヒトの遺伝子数が、長さ1ミリの線虫と同じ20,000個にすぎないという驚くべき事実がある。還元可能な最も基本的な単位である遺伝子およびその遺伝子がコードしている蛋白質を解明するレベルの研究で疾患を理解することが医学の将来の発展につながるとは考えにくいと認識されるようになってきている。肥満、糖尿病、クローン病その他の頻度の高い疾患の遺伝において遺伝子が占める役割は割合にして5%に満たないことが示されている(大規模かつ精密な全ゲノム関連解析(Genome Wide Association Studies:GWAS)の最近の知見)。
現代遺伝学の進歩により、医学研究は袋小路に入り込んでいるように思われる。未消化の膨大な科学的知見の山によって真の知的探求の精神が埋もれてしまうことのないよう、われわれは医学研究のあり方やその次の対応方策を早く見出さなければならない。
コメント
人間の遺伝子が解明できれば人間の疾病が説明でき、人々を病気から解放し、不老不死の世界が実現するということが医学研究推進の原動力となっている。しかし、現在人間の遺伝子がすべて解明されたが、要素還元的な研究成果だけでは人間の疾病の発現と制御の仕組みが理解できていないという厳しい現実を突きつけられている。遺伝子制御の生命システムを解明するシステム生物学が近年重要視されてきているが前途は不透明な状況にある。本論文は、臨床医の立場から現在の医学研究のおかれている状況について評論した論文である。要素還元論、遺伝学的視点だけではない医学研究の発展が必要となっているとの思いを示している。目の前の患者に毎日接して対応している医師としてはもっともな意見ではないかと思わる。今回は、当方の責任で論文を抜粋して紹介させていただいた。
監訳・コメント:関西大学大学院 社会安全研究科 高鳥毛 敏雄先生
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